レクイエム(鎮魂歌)

ブリードルーム

「死体と一緒の部屋で寝ています…。いや、哺乳類でないです!クワカブですけど…。」日本人も昔は死が近くにある生活だったが、今や生と死が分離してしまった。そういう意味で生死一体の生活は世の本質と寄り添っている。クワカブのブリードは「生まれる」より「死ぬ」の方がコントロールし難く、常に死を見ている様な錯覚に陥る。

生の活用は誰でも考えるが、死の活用を突き詰める人が少ないだろう。死は必然だが、ただの終わりでない。東大の小林武彦先生は著作の『生物はなぜ死ぬのか』の中で死の理由として、環境に適用して多様性を生み出すための進化のプロセスと説く。死は世代を超えた進化に不可欠なのだ。

死の活用は何があるだろうか。生物は食物連鎖の中で死をもって他生物の糧となる。本質的な死の意義は他を活かすものであり、目を覆うことを許さない。また、学術的な観点から見れば、標本は科学の発展で博物学や分類学と一体に研究方法として確立した。現在、標本は展示や収集としても用途が拡大した。

筆者が考える死の活用は大型化するボディーバランスを見つけることだ。オオクワのサイズアップは八五ミリの壁で苦戦した。方法は複数の手法の組み合わせだが、種虫に実績のある血統を選ぶという根本要素がある。実績のある種虫は必ず結果につながる訳でなく、コストも高くなってしまう。

ある日、筆者は八〇ミリ後半の個体はそれ以下と比べ、体のパーツ(大顎と前頭、前胸、後胸)の比率に特徴があるのでないかとの考えがよぎった。証明は死んだ個体を標本にして、データ収集する必要がある。もし、この仮説が証明できれば、安価な個体からも大型個体が生み出すという夢の様なことが叶うかもしれない。クワカブの死体は次世代につながる研究に活かしたなら、良き鎮魂歌を奏でるかもしれない。(吉虫)

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