意に反する結果と向き合う

ブリードルーム

~羽化不全と遺伝の実験~

人は答えを早く見付けて、安心したい生物なのだろう。事象がいかに複雑でも、少ないサンプル数でも、疑うべき権威の声であっても、人は都合の良いエビデンスを、理想的なストーリーに変換して視野を狭めてしまう。決めつけた場合は楽でなのだ。間違っていたとしても、それは誰かのせいにできるし、何事もなかった様に振る舞うこともできる。

「東京実験二〇一九」は、左アゴが短い個体、翅が閉まらない個体が遺伝するか試した。仮説は、遺伝による要因で、再現性があるということだった。しかし、結果は、一部を除き全て正常に羽化した。その一部とは、左アゴが短い個体から翅が閉まらない個体が一頭だけ生れ、翅が閉まらない個体から左アゴが欠損した個体が一頭だけ生れた。エビデンスは、仮説を証明するどころか、全くして意味不明であった。

もしかしたら、羽化不全は多くが遺伝するよりも、環境による羽化不全なのかもしれない。特に、蛹化する時期の環境、蛹室の状態は、想像するよりも深刻な羽化不全の温床になっている可能性がある。たまたま、以前の仮説通りに異常が再現していれば、筆者は多くの羽化不全を遺伝だと思い込んでいただろう。冷静になって考えれば、実験結果は、サンプル数が少なく、仮説を証明するのに程遠い状態であった。

実験で意に沿った結果が得られない場合、みなさんはどう考えるだろうか。筆者は、見てみない振りをせず、ラッキーと考えてみる。最もかわいい存在は、自らの仮説で厄介な特性を持つ。サンプル数が不十分でも、思い通りの結果は、悪魔のささやきに様に、さらなる執着を生んでしまう。意に反する結果は、間違った道へ進もうとしていた自身に、「もっと冷静に!」、「視野を広げろ!」と警告を与えてくれる。(吉虫)

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