考える原点

ブリードルーム

書籍『わかりあえないことから』はセンセーショナルで本質を付いたタイトルだと思う。作者は平田オリザという劇作家・演出家であり、大学でコミュニケーションを教えている。日本の教育、社会は「わかりあえる」を前提にしているが正しいのだろうか。この本は人の「わかりあう」本質を問う訳だが、ふとクワカブのブリードにも共通点が浮かんだ。

ホモ・サピエンスは森を離れて進化をした霊長類である。森はⅮNAに刻まれた心の故郷だろう。一神教の西洋文明は森を排除して虫をバグ扱いするが、八百万の神を持つ日本文化は虫を季節を伝える世界の一部として愛着を持ってきた。クワガタ、カブトムシはその姿から飼育、武の象徴としての記録も残る。

筆者はブリードを虫と対話と感じる。それは言葉でない何か別の方法で行わる。虫の気持ちはさっぱりわからないが、虫の脳のサイズと認識範囲、ⅮNAに刻まれた本能を想像しながら「寄り添う」努力をしている。昆虫飼育やブリードは人類が築いた文明社会に、森から昆虫を持ち込むという世界線にある。

有名なアリストテレスの言葉「無知の知」は、自分が知らないことを自覚していることこそ真の知恵だという。人類は科学技術が進歩しても、宇宙や生物についてほとんど理解できていない。物理学では宇宙の九五パーセントを占めるダークマターやダークエナジーが提唱されている。その「謎」な存在を差し引くと、人類はたった五パーセントしか宇宙をわかっていない。

理解は知識が増える程に、理解でいない事に気づくプロセスだ。世界は実に多様で奥深く、人間の認知限界により「わからない」世界線が暗闇の向こうに続く。「理解した」感覚は限定された範囲という条件下で起こり、世界の深さに視野が及んでいない状態だ。虫との関わりは理解できる限界があるので「わかりあえないことから」を原点にしたい。(吉虫)

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