過去に「終の棲家」というエッセイをここに掲載したことがある。内容はブリーダーとして羽化不全や欠けのある個体を最後まで面倒み続ける心の葛藤を描いたものだ。虫に関する事は命を扱うことであり、追い込まれても越えてはならない一線がある。記事から数年が経ち、日々思う事が募るばかりだ。
仏教では不殺生戒(ふせっしょうかい)なる言葉がある。戒めの意味は、「生きものを故意に殺さない」というものだ。この思想は東アジアへ伝わった大乗仏教が命を守る実践へと意味を拡大させる。根底は生けるもの全てに同じ苦しみがあり、同じループで輪廻転生をしているというところに帰結する。実際のところ、人は生きているものを食し、命をつなぐ業を背負っているので、過剰な殺生を禁じている。
現代日本人は経済を中心とする資本主義社会にあり、かつて自ら採集していた虫が売買のテーブルに乗る。筆者も気付いたらその渦中にいる。人工知能は虫ビジネスやブリード自体を殺生とせず、四つのことをしなければ良いと至極まっとうな事をいう。
一 死なせる意図がなくても、予測できる死は減らす
二 大きさや価格だけで命を選別しない
三 繁殖数を管理する
四 死を失敗データだけにしない
サイズや価格は資本主義経済の根幹であり耳が痛い話だが、欠損や羽化不全の虫も同じ命であると心得る。過剰なブリードは犬で社会問題になったことがあり節度が大切だ。死については我々の虫に向き合う姿勢を純粋に問ており胸が痛い。
人工知能の指針は納得できるが、筆者は他にも気になる点がある。それは虫ビジネスに関わる人のモラルと一線を越えない意思である。人は自身にとって都合が悪くなると、利己的になり人に擦り付けたり、無理に正当化して密かに一線を越えたりもする。一線を越えるということは無限ループ地獄の扉を開く様なものだ。筆者は日々の苦行を新たな葛藤として味わっていきたい。(吉虫)
続・終の棲家
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