データは時に人を一喜一憂させる。新型コロナウィルスは日々の数字で語られるが多いが、本質をきちんと見抜けているだろうか?データは時に発信者の意図を強調するために利用される。データを作る時、見る時は必ず「本質は何か?」問うことが大切である。
クワカブ研究所は昨年から死亡率全般を低下させようと取り組んでいる。きっかけは二〇二〇年にペアあたりの産卵数を落としてしまい、将来の必要成虫数を確保するためだ。まず着手したことは成虫の死亡数低下だった。この課題は温度の下げやすい「小部屋」を一八~二〇℃をターゲットにした低温管理に切り替えたことで成果を上げた。
副作用として、二令から三令へ幼虫を育成する工程は、昨年秋から「小部屋」から追い出され、産卵、孵化用の室温二五℃から二七℃で設定された「大部屋」で同居を余技なくされた。以前に集計したデータは室温二五℃を超えた場合、二令幼虫の死亡率が上がった。一方で、「大部屋」は「小部屋」より温度幅が三分の一以下に抑えられる。何はともあれ決め手は孵化から三令幼虫までの育成を同一環境にできることだった。
まずは通常の年別死亡データを見た。
「やった、死亡率は落ちている!…待てよ、別の集計方法なら結果は違うかもしれない」
実際に二令幼虫を管理する部屋が変わったのは昨年の秋だった。ペアリング時期別の集計結果はやはり違った。
「秋ペアリングは、昨年が異常に悪かっただけで、正常に戻っただけだったのか…。」
新手法が本質的に上手く行ったと言える状態は二〇二一春ブリードが最低死亡率を叩き出した場合だ。データ集計は都合の良い見方、心地良い結果にしがみつくと本質から離れ、我々を路頭に迷わせる。データは本質を見抜くことではじめて良き道標となり、正しい方向に導く最強の味方になるのだ。(吉虫)