ホビーは自然と人工と人生のはざまに

ブリードルーム

筆者は数年に一度マイナーなドラマにはまる。今回はテレ東系の「量産型リコ」だ。概要はプラモデルというホビーを通したヒューマンドラマだ。はまるドラマは大体にして物語の背後に自身、又は住む世界と深いつながりを感じさせる。私のいるブリードの世界はプラモの世界とどこかで通じ、通じない部分がある気がする。

共通点は芸術と近く、様式美、色彩美を愛でることだ。2つのホビーは「基本が大事」であり手間がかかる点と、「内なる喜び」、「社会的な承認欲求」に使える点が共通する。流行する「タムパ」の本質は生きる上でダラリ(ムダ、ムラ、ムリ)を排除することだ。プラモも昆虫飼育もこれに反する。

相違点は人工的か自然的かだ。プラモは明らかに人工的で量産型だ。一方で昆虫はそれ自体が生物という自然である。昆虫採集は自然の中で行う。しかし、飼育ましてやブリード(人工交配)は生産活動的な人工要素が加わり中間的な位置づけとして解釈できる。

我々ホモサピエンスは人工的要素を含む自然だと思う。個体はDNAの違いから自然的な個性を持つが、社会で生きるため学習や教育により脳を人工的に量産型に調整される。教育の種類により違いこそあるが、社会で生きる我々は半自然的、半人工的な存在だろう。

量産型社会にあらがう我々は「脳の自由度」への欲求がある。量産型のプラモは発想によりユニークな存在になる。「プラモは自由だ」はドラマ内のセリフだ。脳の自由度を具現化する方法としてプラモがあると言える。

「一品もの」がDNA的な個性とすれば、「脳の自由度」による創造物は自然と近しいのかもしれない。一方で昆虫飼育、交配は量産的な人工世界に持ち込んだ自然とも言える。ホビーは自然と人工の距離感を脳内で調整する弁の役割があるのでないか。人生の深みはホビーの熟考と追及にあるかもしれない。(吉虫)

タイトルとURLをコピーしました